『僕のメジャースプーン』辻村深月
を読みました。
もうなんていうか、やばかったです。
こういう題材の話はキムラサン弱くて、読みながら何度も泣きそうになったり、痛いところをつかれたりと、一冊の中で心が動かされ、叫びだしそうな感覚になりました。
まったくもって、すべてがハイセンス。
「ぼく」と先生の会話もさることながら、登場人物たちの個性も良い。
しかし、土曜日は息抜きをしましょう。という先生の言葉のとおり、その土曜日の描写は読者までふっと息抜きをさせられる話の流れになっているところはホントすごいの一言。
なんか、トーンの違うキャラ出てきたーー!?と思うものの、話から浮いていないってすごい……
この土曜日にでてきた「大学生の彼」は始め先生の話に出てきたとき、「うわ、嫌いなタイプだ」と思ったものの、土曜日に実際に主人公が会ってみると、先生が言うように本当は良い人で、こんなに印象ががらりと変わるのも面白かったです。
また、話の役回りから先生の灰色っぷりもまた素敵。
「わざと消化しない伏線」がちょこちょこあったりするのですが。いつもなら、気になるよーもやもやするよーとなりそうなんですが、この話の場合「時には知らないほうが良い」的伏線の張り方で、逆に知る事ができないもどかしさが良くてたまりませんでした。
このぼくのメジャースプーン、シリーズ化して続きがでてくれないかでしょうかね……先生の過去とか気になります……
と、思っていたら、どうやら前作の『子どもたちは夜と遊ぶ』とつながりがあるようでそちらも近いうち読んでみようと思います。
つづきはネタバレの感想
最後の最後でちょっと気になったこと。
先生がふみちゃんと主人公のピアノの発表会のエピソードを聞いて、「覚えていたんですね」と言うシーン。
この「覚えていた」は何処にかかるのか少し気になりました。
それは「ぼく」が初めて力を使ったとき、じつは文字が太文字じゃないのが引っかかっていて、これは自覚していない&初めてだから太文字じゃないのか、それともじつはこのとき「力」が発揮されていないから太文字じゃない、という2パターンが考えられる事とつながっていて。
この二つからいくつかのパターンが考えられるんですよね。
それは、
1.じつはフミちゃんも能力者パターン
能力者同士は「力」が発揮されない→ゆえに文字が太文字じゃない
覚えているは主人公の言葉を全部覚えているにかかっている
2.ただ単にフミちゃん相手には力を使っていなかった
力を使ってないから太文字じゃない
覚えている→力を使っていないから覚えている
3.ただの表現
初めての力を使うところだったのでただ単に太文字にしなかった
覚えている、は力を使った前後の事を指しているのであってさしたる複線的意味は無い。
とかとかとか。
あと、主人公は力を持っていなくて全部は偶然とかね。
友人と話したところ、この作者はそんなに意地悪じゃないよ、ということで3が有力っぽいんですが。
私的には1とか面白いとか思うんですけどねー……そうするとフミちゃんの大人っぽさとか、言葉を話さなくなったところとか、深読みが……って、深読みしすぎです。ひねくれすぎですが。
こんな深読みとかしたくなるほど、面白かったです。
もっともっと読みたい。そんな気分になる本でした。
を読みました。
もうなんていうか、やばかったです。
こういう題材の話はキムラサン弱くて、読みながら何度も泣きそうになったり、痛いところをつかれたりと、一冊の中で心が動かされ、叫びだしそうな感覚になりました。
まったくもって、すべてがハイセンス。
「ぼく」と先生の会話もさることながら、登場人物たちの個性も良い。
しかし、土曜日は息抜きをしましょう。という先生の言葉のとおり、その土曜日の描写は読者までふっと息抜きをさせられる話の流れになっているところはホントすごいの一言。
なんか、トーンの違うキャラ出てきたーー!?と思うものの、話から浮いていないってすごい……
この土曜日にでてきた「大学生の彼」は始め先生の話に出てきたとき、「うわ、嫌いなタイプだ」と思ったものの、土曜日に実際に主人公が会ってみると、先生が言うように本当は良い人で、こんなに印象ががらりと変わるのも面白かったです。
また、話の役回りから先生の灰色っぷりもまた素敵。
「わざと消化しない伏線」がちょこちょこあったりするのですが。いつもなら、気になるよーもやもやするよーとなりそうなんですが、この話の場合「時には知らないほうが良い」的伏線の張り方で、逆に知る事ができないもどかしさが良くてたまりませんでした。
このぼくのメジャースプーン、シリーズ化して続きがでてくれないかでしょうかね……先生の過去とか気になります……
と、思っていたら、どうやら前作の『子どもたちは夜と遊ぶ』とつながりがあるようでそちらも近いうち読んでみようと思います。
つづきはネタバレの感想
最後の最後でちょっと気になったこと。
先生がふみちゃんと主人公のピアノの発表会のエピソードを聞いて、「覚えていたんですね」と言うシーン。
この「覚えていた」は何処にかかるのか少し気になりました。
それは「ぼく」が初めて力を使ったとき、じつは文字が太文字じゃないのが引っかかっていて、これは自覚していない&初めてだから太文字じゃないのか、それともじつはこのとき「力」が発揮されていないから太文字じゃない、という2パターンが考えられる事とつながっていて。
この二つからいくつかのパターンが考えられるんですよね。
それは、
1.じつはフミちゃんも能力者パターン
能力者同士は「力」が発揮されない→ゆえに文字が太文字じゃない
覚えているは主人公の言葉を全部覚えているにかかっている
2.ただ単にフミちゃん相手には力を使っていなかった
力を使ってないから太文字じゃない
覚えている→力を使っていないから覚えている
3.ただの表現
初めての力を使うところだったのでただ単に太文字にしなかった
覚えている、は力を使った前後の事を指しているのであってさしたる複線的意味は無い。
とかとかとか。
あと、主人公は力を持っていなくて全部は偶然とかね。
友人と話したところ、この作者はそんなに意地悪じゃないよ、ということで3が有力っぽいんですが。
私的には1とか面白いとか思うんですけどねー……そうするとフミちゃんの大人っぽさとか、言葉を話さなくなったところとか、深読みが……って、深読みしすぎです。ひねくれすぎですが。
こんな深読みとかしたくなるほど、面白かったです。
もっともっと読みたい。そんな気分になる本でした。
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